インコ軍団になるまで❺
ありし日のポッポとオーです。
リビングを鳥達占拠された状態から、
鳥部屋増築。止め処なくインコ団員増加!
家主からの提案で鳥部屋の増築計画が始まり、知り合いの公務店の大将と意見交換、
図面作成、施工とトントン拍子に2週間位
で、鳥部屋は完成。カゴを置けるように、
ラックを購入して組み立て、お引越し。
掃除し易いようにツルツルの壁材にして、
防音の二重窓、天井に換気用換気扇装備。
軍団員達も、始めは騒いでいたけど、日に日に落ち着き、放鳥も慣れていきまして、『
居住権』を、勝ち取りました。
翌年の春からまた、繁殖がはしまり、「初めの4羽」の為の過去のお見合い相手達も、し
っかりペアになり、繁殖に参戦。毎回、6ペア〜8ペアは頑張って産卵・抱卵・育雛して
いたので、毎回20羽は雛が誕生してました。
家事しながら、雛達に挿し餌が繁殖シーズン
の日課が定着、一番多い時は、40羽近い雛
に小一時間掛けて挿し餌してて、エンドレス
になった時期があり、大変過ぎて、無茶
必死に食べさせた思い出しかないです(笑)
この頃、関西圏から通販でお迎えした、コザクラのオレンジ色の額の青い♀。青っぽい鳩
みたいなので、ポッポ(コバルト)と名付けて「始めの4羽」にお見合いさせるも、ポッポに拒否され、新しく地味系なオリーブの
コザクラの成鳥のオー(オリーブ)をお迎えして数日後で、放鳥中に、ポッポがオーの
カゴに張り付いて鳴き合ってたので、これは!とカゴの戸を開けると、スッと入って行き、ラブラブにキスとオーの吐き戻しの餌
プレゼント。♂と判明して、即同居。
このペア、相性がよく、子育て上手!羽色変わりの雛達を量産してくれて、繁殖の即戦力
でした。運命の出会いでしたし、神様に感謝
してました。「始めの4羽」の子達は、血統が上手く残せなかったけと、オー(オリーブ♂)×ポッポ(コバルト♀)ペアの血統は、今も維持できているのは、子出しが良いの
もあり、現在、4世代目。色戻し作業中です。ペアになり、繁殖させる予定です。^_^
このペアが基本になり、残った、残した子達に相手を見つけを繰り返して、多い時で、
大型鳥と合わせて、50羽近く在籍してました
これからが、子育てと午前中のパート勤め
と、多忙な日々に突入です。
お読みいただきありがとうございました。
まだ、続きそうです。(°▽°)
インコ軍団になるまで❹
環境が良好すぎ。ヽ(´▽`)/
画は、新居のリビングに鳥かごが占拠し始めた頃。あ〜懐かしいなぁ〜遠い目(´ー`)
旦那さんの勤める会社の福利厚生が変わる為
引越しせざる得なくなり、正月明けて翌月に
引越しをしたのですが、寒い時期だったから
娘が風邪を引いて、一家で体調悪いなかの荷造り、後掃除と引越しの大変さを実感しました。私地元で実家近くなので、近距離でしたが、何せ趣味人な夫婦、荷物が多い(笑)
移り住んだ一軒家は、数年空き家でしたが、掃除してみても箱庭的小さい、狭い。荷物を運び入れたら、手狭でした。でも、日当たりはいいし、西日は避けられて、新しい家で、
娘は喜んでたし、最初の4羽も体調が良さそうでした。相変わらず、BL状態は続き、「
何とか、お嫁さん見つけなきゃ!」で、念願のデスクトップ型のP Cを購入して、通販が
まだ当時は可能だったので、探しまくって、
色変わりコザクラの♀の成鳥を、お迎え出来る事ができ、穏やかなスー(ダークシーグリーン♂)はお見合いさせてペアになり、ミー
(ルリコシボタン♂)も、ボタン♀に尽くし
てペアになり、通える範囲のペットショップ
にいたレアな羽色のチャオ(オレンジフェースオリーブ♀)がモエ(アメリカンイエロー♂)と、何とかペアになり、毎日イチャこいて、普通に夫婦になる事ができて、安堵しま
した。
ヒヨ(ルチノー♂)だけが、中々相性のいいコを選んでくれず、数羽お見合いして
最終的に、真反対な羽色のユキ(ホワイトフェースバイオレット♀)が気に入り、何とかペアになり、ヒヨ(ルチノー♂)の為に、数羽の♀をお迎えしていたのと、♀に間違われて来た♂のコがペアになり、こうして、あまり広くないリビングが、鳥カゴマンションみたいになっていきました(笑)
こうして、数が増えて行き、数年経った頃、家主の私親が、「食事する場所に、こんないっぱいな鳥がいるのは、衛生的に良くない!から、部屋をつくるかして、こんな状態は、やめなさい!!」と指摘され、鳥部屋の増築計画が始動と、床などのリフォームも決定した。また、これが鳥達の数が増えて、軍団化が本格的にはじまってゆく、、、d( ̄  ̄)
この約20年間の経過ですが、まだ続きます。
長いですが、お読みいただきありがとうございます。
インコ軍団になるまで❸
恐るべし♂引き(^^;)
前回、ダメ元でお迎えした国産コザクラインコ、スー(ダークシーグリーン♂)と、ボタンインコ、ミー(ルリコシ系♂)は、鼻眼結膜炎に罹患しながらも、完治しましたが、お迎えから、1年経つまで、ミーは、床材の乾燥草に混入してた穂か実?を食べてお腹壊したり、スーも、そのう炎になったりして病気になったけど、お迎えした日には、体格のいい成鳥に育って、とても嬉しかったです☺️
大人になった2羽。両方とも、求愛行動が
顕著になり、ケンカが増え「これはお嫁さんを、お迎えしないと」と、「♀確定でないと」一般に言われている、「ルチノー系は
♀個体が多い」説を参考に、お迎えしたのが、ヒヨ(ルチノー♂)でした。また、体調を崩しましたが成鳥になり、またもや、繁殖行動し始めだけど、♂だった。「なんで?
数少ないはずの、♂なの⁇」と、♂同士で求愛行動して盛ってるのが切なくなり、「これで最後!」とかなり燻んだ黄色系のコを選んだのが、モエ(アメリカンイエロー♂)だった。小柄だったけど、比較的前の3羽より体調崩しても軽症だったので、育て易かった。
このコが成鳥になり、♂行動し始めて、この状態を受け入れる決心をしました。(笑)
この頃、人に慣れてない若鳥のボタンインコのペアのお迎えしだけど、空いていた窓から
空へ飛び去って行く、人生で1番後悔した出来事で、今だに反省してます(T-T)
それからは、窓に隙間ないか確認してから、
放鳥する様に、なりました。苦い思い出です
こんな感じで、4羽が揃いまた鳥飼い生活が始まり、長女が幼稚園に入園したりと、母親業も開始で、充実した生活でした。
しかし、年明けくらいに、旦那さんの勤める会社が合併を期に、福利厚生が変わり、社宅の手当てが無くなるかも?と勧告され、今の
アパートから退去するかも!と焦り、偶々、私実家近くに建て替えた一軒家が空いていて
引越すことにが決まり、これを機に繁殖を手掛けるきっかけになって行きました。
次回は、私地元に帰ってから現在に至るまで
の話です。長い記録ですが、お読み頂きありがとうございます
画は、左から、スー(ダークシーグリーン)
ミー(ルリコシ系ボタン)ヒヨ(ルチノー)
モエギ(アメリカンイエロー)です。
また、会いたいけど、懐かしい思い出です・°°・(>_<)・°°・。
インコ軍団になるまで❷
今思う結論かな?(^^;)
前回の続きです。
何故、ヒナ達が病気になっていたのか?
1、住んでた部屋の、空気や朝日が当たらない環境が合わなかった。
結婚後、旦那さんの勤める会社の社宅扱い
の高台の6世帯が入るアパートに、引越しました。左右に高速道路と国道があり、日中
大型車が走り排気ガスが多く、近くに電波塔
地形上朝日が当たらない外環境。入居した部屋は、玄関横の漆喰壁に黒カビが生え、隙間風入る寒い環境。住んでる人も、体調を崩しがちだったから、小さなヒナ達には、カビ胞子や他の菌や埃が、体内で悪さしてプチプチ言わせてたのは、間違いないです(/ _ ; )
2、飼育経験が無い、手探りで飼育。
先に文鳥飼育経験だけで、刺し餌してた思い出は、うろ覚え…疑問点だらけな飼育です。
この当時、ヒナ達を育てる為の方法や情報が
少なく、保温の仕方や餌の種類など旦那さんが、PCからのコピーを頼りに、水槽やヒヨコ電球、床ヒーター温度計を準備。餌もあわ玉を選ぶより、消化吸収が良いパウダーフードーを主に刺し餌を開始。獣医さんにも、飼育アドバイスを頂いたいたり、この種が多く
罹患しやすい「鼻眼結膜炎」について学んだりして、必要に応じて投薬して、励ましながら、必死で育てました。いつも、「なぜ育たない?」の疑念が^_^:調べてみました。
3、輸入ヒナと国産ヒナ
調べてみて分かった事は、皆輸入ヒナ達だったこと。東南アジア産かヨーロッパ産が多い
ようで、輸入されて名古屋の検閲所に集め
られて、検閲後にセリかけられるか、予約済みのお店に、運ばれてゆく。その間もマス篭
のような狭い環境下に、数羽〜数十羽、サンミツ状態になり、元気なヒナも病的症状なヒナからのウィルスや菌に晒され、病の症状の出て無いヒナもクラスターになり、お店につ
いて仲間がいるし暖かいから、まだ元気。
飼い主さんにお迎えされ、1羽ぼっちか2羽だけの新しい環境下の生活に、戸惑っていると
体内に潜んでたウィルスや菌が、暴れだす。
まあ、こんな絡繰があるとは知らず、我が家の環境では、育つのが難しいと、振り返ってみればの結論です。ダメ元で国産ヒナを取り扱っているお店から、ボタンインコと当時珍しかった青系コザクラインコを、お迎えしました。やはり、鼻眼結膜炎に罹患しけど、看病して数週間で完治。何とか、成鳥になる。
お店の国産ヒナは、ブリーダーさんからの店でのお迎えなので移動時間が短いし、親鳥も
自国生育なので、輸入のヒナ達より体格も大きいく、足が太くしっかりしてました。飼育容器は兄弟で分けて、管理していました。
扱いは昭和的でしたが、家禽鳥の専門的だったしこのお店に出会えて、段々と「仲間」を増やしてしまう癖が、始まってゆきます。
長いので、次回は何で?増員が始まったたか
⁇をカキコします。お読み頂きありがとうございます。
画は2話目の画の、ヒナ達の親鳥です。
左が母でマロウ(ダークグリーン)右が父ベル(ダークシーグリーン)です。何故か?
遺伝子のイタズラなのか?羽色は父側の遺伝子で決まる事が多いと言われてますが、父にイエロー系の個体が過去に交けて無いのに、ルチノーコザクラが産まれる?確率からすると稀感が凄いかも!?まあ、遺伝学上99%♀になっちゃいますけど∧( 'Θ' )∧可愛いから、私的には、嬉しいです💕
インコ軍団になるまで❶
前回は、自分のご紹介でしたが、インコ軍団
の、お話しです。小学時代から、文鳥を飼育していました。家が自営業だったので「毛モフはダメ‼︎」と言われ飼いやすいからと、文鳥をお迎えしたのが、始まりでした。その時は、1羽でしたが、中学に進学する頃には、
6羽はいて、お迎え癖が確立していました(笑)多忙な高校生活と、短大進学の間に
文鳥達のお別れし、その時期に奇跡的に孵化
したコが、会社勤めで知り合った旦那と、結婚後、嫁入り道具と一緒に新居に引越し。2年後に、妊娠、長女を出産。数ヶ月後に老齢
により虹の橋を渡ったのが最後で、3年位トリ飼い生活を離脱。子育てが落ちて、また
トリ達との生活がしたくなり、今回はモノトーンな羽色より、カラフルな羽色なコが気になり、可愛い顔のコザクラ、ボタンインコのヒナをお迎え。だけど、何故か?育たない?
皆家に来て3日経つと、プチプチ言い出し、
鼻水と涙目になり、数日で虹の橋を渡って
行きました。ムチャ悲しかった.°(ಗдಗ。)°.
解らないまま、手探りで飼育方法探して、
行き着いたのが、皆輸入ヒナだった事。旦那さんが探して来てくれた、国産のヒナを扱うお店でお迎えしたコザクラインコ3羽とボタンインコ3羽が、やはり体調崩したけど、持ち直しして、成鳥になれました。この時の事が、後に「国産鳥」が大切だと気付かされました。この当時は、輸入鳥やヒナには規制が
緩かったし、ヒナ達の扱いも理解されてない
お店が多かったです。今はヒナ達の扱いを理解しているお店が増えてきてるので、良い傾向だと感じています。ちよい長くなりましたが、次回にヒナが育たなかたった訳と、無事に育ったヒナ達について、カキコします。
お読み頂きありがとうございます😊
画は、家で産まれた、ヒナ達です。
はじめまして(^_^)
はじめての、ブログです。
私、drdr(ドラドラ)rosefbirdと申します。
名前の由来は、体型と性格?が某青色の猫型ロボットに似てるからと、娘が考えて付けくれました。今では、気に入りってます(笑)
rosefbird(ローズエフバード)は、前からの
ハンドルネームで、今仕様の名前になりましたけど、こちらも気に入ってます。由来は、
大切にしてるコザクラインコの、学術名から
頂きました。
多頭飼育な我が家。2001年に私の郷里に戻り
ここからの、20年はコザクラ達の飼育から、
ワンコ、ヌコ、が増えてゆき、子育てと家事
動物のお世話に、子の成長に合わせて、習い事・部活の送迎、進学してから学費の補助の
為昼はパート勤務して、怒涛の暮らしでした
(> <)平成末で子離れしたので、晴れて夫婦だけの生活になり、穏やかな日々を送れるようになりました(*´꒳`*)
何げない日々の事を、カキコしていけたらと
ブログをはじめました。最後までお読み頂き
有り難う御座います。画は、角島大橋です。